三姉妹の父の未来日記

私たちが生きる社会の未来、そして不思議なことについて探究するブログです。

「諸行無常」で世界と人生は成り立っている

 

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

有名な平家物語の冒頭に登場する一文です。

諸行」はこの世のすべて、
無常」は、常がない、続かないということですから、この世の一切は永遠ではないということ

栄華を極めた平家も、永遠には続かなかったということを後世に伝えている名文ですね。このように、生まれては消えていく現象を西洋では、哲学的に「万物流転」として表現しています。

 

私が説明するまでもないことですが、過去の偉人は、この世界のあらゆるものは変化すると言っているのです。

逆に、永遠に変化しないものを発見すれば、ノーベル賞をもらえると思います。

 生まれるものは必ず死を迎えます。形あるものは必ずその形を変化させます。

 

「永遠に続く」という感覚は、人間の錯覚

 

「出会いは、別れの始まり」という歌の歌詞もありますね。私たちは、日常生活の中で、今あるものが永遠に続くという錯覚を持ってしまいます。

・家族と生きる人生

・現在の仕事

・現代社会のルール

 

家族もいずれはそれぞれが人生の最後を迎えます。いつまでも同じようには続かない。

毎日の会社勤めも、いずれは出勤しない時がやってくる

社会も常に変化している。まさに、歴史とは「変化の記録」そのものです。

 

でも、私たちの時間感覚では、10年続いたものは20年続くと感じ、50年続いたものは100年続くと感じてしまいます。その状況が当たり前になり、変化するとは思えなくなります。

 

  人間は、「過去の延長線上で未来を想像する」生き物。

「これまでもこうだから、これからもこうだろう」と…

 変化を恐れていて、立ち現れる変化を受け入れることができないと、私たちは苦しみます。変化を要求されると心が苦しくなるのです。最も苦しい変化は家族の死であると思います。私も三姉妹の子どもがいますが、子どもの死は想像すらできません。願わくば、私が生きている間は、元気に生きていてほしいといつも祈っています。そんな苦しい変化を受け入れる自信がないからです。

 

最近、「サラリーマンをやめてもいいかな」と考えるようになりました。理由は、業績悪化にともない、会社が殺伐としてきたからです。「子どもたちが成人するまでは家族を守らなければならない」という責任感で生きてきましたが、時代と社会の変化を受け入れないといけないという心境になってきています。確かに、会社人として組織の中で、一生懸命には働いてきましたが、この十数年間は変化を恐れていたのかも知れません。今の生活を守ることばかり考えていたことが、実はとても苦しことであったと気づき始めたのだと思います。

 変化することを受け入れて、守ろうとしていたことを心の中で、手放していくことで、確かに、私の心はとても軽やかなものへと変化しています。

 

「すべては変化する」という考えを受け入れて前に進みたい

 人生も、社会も、世界も、変化し発展していくことが真実だと思います。

その時代に生きる者として、習慣的に持っている「こうであるという常識」を疑い、自ら変化していく人になりたいですね。

 

周囲の友人や知人を見ていても、新しいことにチャレンジしている人は「輝いて」見えます。私も50代に入ってから、苦手なことに(ブログ)チャレンジしています。

 確かに、ブログを初めてから人生の愉しみを見つけた感覚を持っています。

変化を恐れることはある意味当然のことです。でも、一歩踏み出して、守ろうとしているものを一旦手放してみることで、変化を受け入れて、前に進む力が湧いてくると思います。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」

今の時代に、必要な覚悟をさせてくれる言葉=一文ですね。

みなさんにはどのように、この言葉は響きますでしょうか? 

 

 三姉妹の父