「原因と結果の法則」は人生に機能している
この世界には、目に見えない「法則」がある
今回は、とても有名な「原因と結果の法則」について投稿します。
法則といっても因果関係が直接的には目に見えないので、私たちは法則の存在に気づくことができません。でも、確かに「同じ原因には同じ結果が生じている」のが、この物質世界の真実だと思います。
私の人生の(高齢の)師はこのことについてこのように話されていました。
「天網恢恢疎にして漏らさず」天網は目があらいようだが、悪人を漏らさず捕らえる。天道は厳正で悪事をはたらいた者には必ずその報いがある。
天は全て知っているから、人生を通じて正確に、自分の行いに応じたものを自分で刈り取ることになる。
悪い行いは悪い結果を、良い行いは良い結果を必ず手にすることになる。それは、長い人生で最期の最後にやってくるかも知れない。
人生の最後に人生のツケを払うことになる事ほど、辛くて、過酷な人生はないだろうと私に言って聞かせてくれました。
当時70歳代の方でしたが、師は「長い人生を生きてきたが、人生で見てきた周囲の人たちはきっちりと、つじつまが合う人生を送っている」と言われていました。
自分を含めて、周囲の人たちの人生のある一時期だけを観察しても、人生に機能する原因と結果の法則は見えてこない。
しかし、最終的には、天は1ミリも狂わずきっちりと、自分が蒔いた種の収穫物を刈り取らせると。それは、良いことも、悪いことも含めて、全ての収穫物です。
人生と世界を観察すると原因と結果の法則が見えてくる
私も自分の人生、周囲の人たちの人生を、丁寧に俯瞰して観察してきましたが、確かに「原因と結果の法則」はあらゆる人々の人生に正確に機能していることが見えて来るようになりました。
このことを別の言い方で、アップルのスティーブ・ジョブズさんは、体験・出来事は、点にしか感じていなかったが、人生を振り返ると、全てが、「点ではなく、線になっている」と有名な演説で語られています。
「点が線になる」という有名な言葉です。この言葉は、とても奥深い言葉ですね。私はこの言葉に出会った時、心が震えました。
ジョブズさんは「人生で起こることに無駄なことは何一つない」と言いたかったのかもしれません。
でも私にとっては、ジョブスさんのこの言葉は、人生の因果関係=すべては必然的に生じていると言っているとしか受け取れませんでした。みなさんはどのように感じますか?
毎日の生活の中で、巻き起こる体験、出来事はそれ自体が偶然に目の前に現れているとしか見えませんが、目に見えない世界では、全てが必然としてつながっているという事実を、皆さんは感じることができますでしょうか。
私はこのことについて多くの書籍を通じて学び、かつ、実践的な観察を通じて確信を持つようになりました。
ジェームス・アレンとの出会い
2003年に「原因と結果の法則」というジェームズ・アレンさんの書籍に出会ってから、およそ16年間、このことを考え続け、学び続けてきました。また、自分と世界を観察してきた結果、この法則が人生に機能していることを体験的に理解するに至っています。
一回きりの今回の人生を、注意散漫に生きるのではなくて、今、この瞬間に集中して、世界を観察することで、今まで見えなかったものが感覚的に見えてくるようになります。
自分を観察すること、周囲の人々を観察すること、世界を観察することで「原因と結果の法則」が機能していることが見えてくるはずです。
「原因と結果の法則」は科学
原因があり結果がある、そして観察すること、なんだか科学実験のようですね。
科学実験は再現性があるかどうか、仮説や法則が本当に機能するのかどうかを実験で実証して初めて事実と認定するのですが、「原因と結果の法則」もまったく同じだと思います。
人類は数百年、或いは数千年をかけてこの法則を体験的に実証してきたと言えるでしょう。
仏教にも「因果応報」という教えがあります。これも、「原因と結果の法則」のことを言っているのだと言えるでしょう。
およそ2500年前に生きた仏陀(お釈迦様)は、修行(瞑想)を通じて、この世界の法則を発見した人であったとも思います。
現在の科学では「原因と結果の法則」を現在の方法ではその機能を証明できていませんが、未来においては「原因と結果の法則」は科学実験によってその機能がどのように働くのかが解明されているはずだと思います。とても愉しみなことです。
目に見えないことを考える
目に見えないからと否定すること、現在の科学で実証できないからと否定することは、実はその態度そのものが非科学的だと言えるでしょう。
なぜなら、700年ほど過去には原因不明の感染症=黒死病(ペスト)で多数の人々が命を落としましたが、当時の科学では原因を解明できませんでした。目には見えないペスト菌で人々が死んでいると、当時の人たちは、簡単には信じることができなかったでしょう。
後の科学技術の発展により顕微鏡などが発明されたあとになってようやくペスト菌が発見されたのです。目には見えなくとも、私たちが解明できていないことでこの世界は成り立っているのだと思います。人類の歴史がそうであったように、これからも人類は謙虚に自然と世界から学び続けることが大切です。
私たち大人が物事に疑問をもち、そのことを解明するために考え、学び続ける生き方を、子どもたちに示していかなければならないと思います。
私の考えていること、感じてきたことなど、伝えたいことは多いのですが、あまり長くなると読みづらくなりますので、この辺で今回の投稿を終えたいと思います。
最後に、好きな言葉を加えます。※好きな言葉はものすごく多いですが(笑)
「常識を疑え」
非常識な人たちが社会の進歩をけん引してきたのだと思います。
三姉妹の父