【癌の疑い】の指摘2回の経験で得たもの “死を意識した瞬間に世界は輝いて見えた”
53年の人生で「癌の疑い」の指摘を2回受ける
25歳の時、明日が海外出張という夜中に腹部に激痛が走り、近所の救急病院に駆け込、レントゲン、CTの検査を受けました。朝方になってその検査結果を見て、中年のドクターが、「左の腎臓にゴルフボール程度の癌があるようです。詳しい検査をします」といきなり話し始めました。CTを見ると確かに真っ白い影がくっきりと映っています…
その時、結婚前の今の奥さんも駆けつけていて、母と彼女と私の3人は、唖然としてしまいました。彼女の顔がショックを受けていることがはっきりと分かりましたので、私は「大丈夫や」と安心させようと必死でした。
この時、内心では自分は癌だと覚悟している心境でした。「確かにはっきりと映っている…若いから進行が速いだろう…」と。
この時、人生で初めて「死」を明確に意識し、覚悟したと思います。
晴天の霹靂で、まったく予想もしていない展開に、自分でもびっくりでした。
「人生 一寸先は闇」この言葉を実際に体験した気分でした。
人間にとってのタイムリミットを意識する経験は必要
この時は不思議と死が怖いとは感じませんでした。死ぬことよりも、癌の闘病で苦しい思いをすることの恐怖のほうが大きかったです。「痛み止めを際限なく使ってほしい」その1点でした。
心残りだったのは、結婚を約束している彼女のことでした。彼女は23歳ですから人生はこれから始まるタイミングです。
「私が死んだあと、いい男性と結婚して幸せになってほしいい」 と本当にそう思いました。そう思いながら、「申し訳ない」気持ちでいっぱいでした。この世界に彼女を置いていくという心境になっていました。
この時、彼女が私にとって「かけがえのない大切な人」であることをはっきりと理解しました。
結局、彼女と出会って、現在29年目に入っており、三姉妹にも恵まれ、私の人生にとってかけがえのない人(家族)となっています。
「死を意識する」と世界は輝いて見える
その日の夜、入院している(大阪南部に位置してい)工場街にある病院の屋上で、真っ赤な夕日を眺めていた時のことを、今も鮮明に記憶しています。
自分は「もうすぐ死ぬんだ」と、勝手に思い込んでいたのですが、その死を強烈に意識することで、私の中の何かが臨界点を超えたと思います。
工場街から見える真っ赤な夕日が、見える景色全体が「輝いている」のです。
「世界が輝いて見えた」のです。
言葉では到底、説明できない実際の体験でした。
この時の体験から、「人間は本当の世界を見ていない、見えていない」ということを常に考えるようになりました。
自分なりにあれ以来、「なぜ本来の美しい世界が見えなくなるのか」、その理由を考えてきました。
「今あるものが、存在して当たり前と思っているから、その存在の価値を本当に理解できなくなり、見えなくなる」のだと思います。
仕事がうまくいかない、夢や希望がなかなか叶わない、嫌な上司がいる…
自分の人生はうまくいっていない…
本当にそうでしょうか?
「何も起こらないことが、神さまからの最大の贈り物」
大学3年の長女が4歳のころに、難病指定の腎臓病で半年間、人と接触できないので、大阪の日赤病院の個室で看病した経験があります。どんどん悪い方向(悪くなる確率が低い方に、低い方に病状が進行する)経験をしました。学会で発表するようなまれなケースだとも聞かされていました。
先生の病状説明の時に、「私の腎臓を使ってください」と先生に懇願したことを覚えています。
昼は妻が看病し、夜は私が仕事から直接娘の病院に駆けつけて看病していました。
次女がまだ2歳だったので、昼は保育園に預け、私が帰ってきてから妻が次女を保育園に迎えにいっていました。毎回、一番最後の迎えだったようです。園長先生が次女の母親が来るまで待っていてくださったのです。
私は、世界に、神さまに毎夜、日赤病院の庭で祈りました。長女の病気が回復するなら、自分の命も要りませんと。
神さまへの祈りが通じたのか、長女の病気は急に回復に向かい、6か月後に無事退院することができました。再発の可能性があったので、16歳くらいまでは定期的に検査を受けていました。
※この時は不思議な経験をしていますので、いずれブログで投稿したいと思います。
私は6か月間家に帰らず、病室と会社の往復の経験をしています。
そう考えると、「何も起こらないこと、昨日と同じこと」が、どれほどありがたいかを強く実感しています。そして、そのありがたいこと、「日常の当たり前のことは、永遠には続かない」ということも体験的に理解できるようになりました。
何も起こらないけれども、今、この瞬間を感謝の気持ちで生きたいですね。
皆さんは、今、この瞬間をどのような気持ちで生きていますでしょうか?
結局、25歳の時の「癌の疑い」は、精密検査の結果、癌ではなかったという結末でした。「先生、もう少し慎重にしてよと」という気持ちにもなりましたが、貴重な経験をさせていただいたと思っています。
今、このとき、一瞬、一瞬を誠実に生きる
私はこういう心境で生きていきたいと考えていますが、ふと、気づくと、初心を忘れている自分がいます。それでも、常に初心に戻って、一回きりの人生を精一杯、輝いて生きたいと努力しています。
「刹那に生きる」
私の好きな言葉です。
長くなりましたので、2回目の「癌の疑い」の指摘のエピソードは別途、投稿しようと思います。
昨年の夏に起こったエピソードです。
このエピソードは少し不思議感を残したまま、現在に至っています。
三姉妹の父